こんにちは、児童発達支援の施設で働く保育士のまつこです。
私は大学卒業後8年間、公立の小学校で働いていました。
この記事は、30歳で公立小学校の教員を退職した私が「教員を退職した理由」をまとめました。
こんな人におすすめ
- 教員を退職しようか迷っている
- 教員になるか、ならないかの段階で迷っている
皆様の人生の選択の参考になれば幸いです。
【結論】私は教員を辞めてよかった
教員退職後の私
はじめに、教員を退職してからの私について少しだけ書いておきます。「教員退職」は決めていたものの、その後に何をしようか、ということは全く決めていませんでした。
本が好きだから本屋さんで働こうかなあ・・・
カフェや飲食店で働くのも楽しそうだな
さまざまな考えが頭の中を巡りましたが、2ヶ月間の休息期間(要するにニート期間)を経て私が選んだのは、「児童指導員」という仕事でした。
「児童指導員」とは、「児童発達支援」や「放課後等デイサービス」という障害のある子どもたちが利用できる福祉サービスで働く子どもの発達を支援する専門家のことをいいます。
教員免許をもっていれば、実務経験等は問わず「児童指導員」になることができます。
教員を辞めてよかった
小学校教員という仕事を退職するにあたり、さまざまなことを天秤にかけながらとても迷いました。でも私は「教員を辞めてよかった」と思っています。なぜなら教員をやめたいまの自分がとっても幸せだからです。
新しくはじめた「児童指導員」は勉強しなければいけないことも多くあり、「面白い」と感じる仕事でした。
障害のある子どもたちに出会い、子どもたちの成長する姿を目の当たりにして自分自身ももっと成長したい!と思えるようになりました。
その後、保育士試験に挑戦したり、ベンチャー企業(現在働いている会社)に転職をしたりしました。自分の人生の選択を自分でしっかりと考えておこない、充実した毎日を送ることができています。
この記事では、私が「教員を退職するにあたって考えたこと」をまとめました。「退職」について考えている方の参考になれば幸いです。
なぜ小学校教員になったのか
私は小学生3年生の頃、当時の担任の先生が大好きで「自分も大人になったら先生のようになりたい!」と思っていました。その後もさまざまな素敵な先生方に出会い、「先生」という仕事が私の夢になりました。
両親ともに学校勤めだったので、その影響も少なからずあると思います。
教員になってからの私
大学卒業後すぐは教員採用試験に受からず、地元(北海道)の小学校の臨時採用職員として働いていました。
小学校の先生としての初めての1年間は、周りの先生方にいろいろなことを教わり、子どもたちとも毎日あそびました。
保護者の方々や地域の方々とも交流が多くある、とてもアットホームな学校でした。毎日がとても楽しく、あっという間に過ぎていきました。
憧れの「先生」になれてとっても嬉しかったです
その後、北海道ではなく大学時代に住んでいた関東の政令指定都市の採用試験に合格しました。学生時代を過ごした地へまた戻ってきて、公立小学校での勤務が始まりました。
私が働いていた学校は、子どもたちがとても素直で可愛く、保護者の方々も協力的な方が多いとても素敵な学校でした。また、同僚の先生方も本当に良い方ばかりで環境的にはかなり恵まれていたと思います。
そんな恵まれた環境で働くことができていたのにも関わらず、私は退職の道を選びました。
私が教員を退職した3つの理由
退職理由①「自分の時間」がなくなってしまった
私が教員を退職した1つめの理由は、「自分の時間」を確保することができなくなってしまったからです。退職すると決意した年の1週間のスケジュールはこのような感じでした。
【平日】
6:30 起床→朝ごはん、準備
6:45 出勤
7:30〜 仕事(休憩時間なし)
21:00 退勤
21:30 帰宅・夜ごはん
(食べながらYouTubeやテレビを観る)
23:00 お風呂
24:00 就寝
【土曜日】
9:00 起床
布団の中でぼーっと過ごす
13:00 お昼ごはんを食べる
14:00 お昼寝をする
・・・→夜まで起きられず、1日をベッドの上で過ごす
【日曜日】
10:00 職場に行き、次の週の準備
16:00 帰宅、少しのんびりできる
19:00 夜ごはん、少しのんびりできる
23:00 就寝
平日は眠くて眠くてしかたないはずなのに、布団に入ってもすぐに寝付けない日もありました。睡眠の質が悪く、寝ても疲れがとれない毎日でした。
土曜日は1日空いていることが多かったですが、平日の疲労が溜まっていてベッドからなかなか起きられませんでした。
休日は友達と遊びに行ったり、サッカー観戦やライブにいったりすることもありました。でも、次の週の準備をするために土日のどちらかは出勤をしていました。
休日出勤があたりまえでした。(手当もでません。)
特に教員最後の年は初めての6年生担任&初めての学年主任を任され、今まで体験したことのない仕事が大量に舞い込んだ1年でした。
私はマルチタスクが得意で、仕事ははやい方だったと自負しております。前の年までは遅くとも19:00には家に帰ることができていましたし、休日出勤もかなり少なめでした。
それが学年が変わり、学年主任の業務が加わるだけで 1日の仕事が2時間ほど長くなり、ほぼ毎週末に休日出勤をしなければ仕事が終わらないという状況になってしまいました。
「子どもたちのため」なら頑張れるという罠
学校には「『子どもたちのため』なら頑張れる」先生方がとても多いです。以前は私もその1人でした。
でも、私が働いていた8年の間にも、英語、道徳、プログラミング、いじめ問題、不登校問題など、新しく考えなければいけない案件が次々と増えていきました。
何かを増やすためには元々あったものを減らさないと入りません。学校現場は新しい仕事を増やすだけで減らすことをしてきませんでした。(現場のせいにしていますが、私自身も「仕事を減らそう」と努力をしていませんでした。)
特に6年生担任の冬はとにかく大変でした。卒業アルバムの写真チェック(誰が何回写っているか、名簿に印をつけていくのです)や、文集の誤字脱字チェックなどで、終電ギリギリまで残って作業をしました。
「子どもたちのため」を思って働いていたはずなのに、気がついたら「明日クラスの子どもたちにする予定の授業準備がまだ終わっていない。」というありえない状況が続きました。
はたして本当に「子どもたちのため」になっていたのか?
学校で働けば働くほど、
「この仕事は子どもたちの成長に繋がるのだろうか。」
「私のしている仕事は教員じゃないとできない仕事なのだろうか。」
「先生」ってなんだろう。何でも屋さんになってないかな。この仕事が本当に子どもたちのためになっているのかな。さまざまな考えが頭の中をぐるぐるしていました。
自分の時間を削って働いていること嫌気が差して、「自分の時間は『自分のため』に使いたい!」と強く思うようになり、退職を決意しました。
\定時で帰るために頑張っていました/
退職理由②仕事量と給与面での理不尽さに気付いてしまった
教員を退職した2つめの理由は、仕事量と給与面で納得のいかないことが増えてきたからです。
教員の給与は年功序列制です。
評価制度もあるにはあるのですが、微々たるもの。基本的には給与は年齢によって上がっていきます。年齢が上がることで給与が増えていくのであれば、仕事量も年齢とともに増やしていくべきです。
しかし私の職場では、学校全体を動かす大変な仕事(学校のパソコン関連、体育行事、安全教育など)は、独身の教員や体力のある若手教員などに偏りがちな傾向がありました。
その一方でなぜか分掌の仕事量が極端に少なく、定時に帰っている年配の先生もいらっしゃいました。毎年1年生の担任しかしない(できない)おばちゃん先生も。
自分より明らかに仕事量が少ない先生が、年齢が高いために多くのお金をもらっているという現実があり、それに気が付いたときはやりきれない気持ちになりました。
残業代についても基本給の4%(月8時間相当)が一律で入っているだけで、それが60時間になっても、100時間になっても一切増えません。休日出勤についても同様で、行事等があるとき以外はお金は出ませんでした。
そういった仕事量と給与に関する理不尽さに気付いてしまったことも、「この仕事を辞めたい」という気持ちを大きくさせた原因の一つです。
やりがい搾取な仕事です
今思えば小学校教員という仕事は、日々の「子どもたちの成長」や「保護者からの感謝の言葉」によってなんとか続けられる仕事です。
数年前、新垣結衣さん(ガッキー)主演「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマで「やりがい搾取」という言葉が話題になりました。「やりがい」を意識させ、本来払うべきの賃金の支払いを免れるという意味です。ドラマでこの言葉が出てきたときに、教員という仕事も「やりがい搾取」だなあと妙に納得してしまった自分がいました。
退職理由③他の業界も見てみたくなった
教員を退職した3つめの理由は、このまま退職までずっと同じ仕事(教員)をしていて良いのだろうかという迷いが生じたためです。
教員6年目頃でしょうか。仲良くしてもらっていた先輩先生が「やりたいことがある。」と教員を退職されました。その先生は、「生まれ育った地(島)で『海の家』をしたい」とおっしゃっていました。
(数年後、先輩の海の家にお邪魔しました。先輩はイキイキとされていてとても素敵でした。)
ちょうど同じころ、あと1年で定年を迎える先輩先生(とても尊敬する先生でした。)も同じような理由で退職されました。その先生は「障害のある人たちが働ける場所を作りたい!」とおっしゃり、農業の大学に入学されました。
私自身も教員としての働き方に少し疑問を抱いていたところだったので、そのお二人の決断はとても刺激になりました。
そんなときに自分自身の結婚が決まりました。29歳の夏でした。結婚に伴い引越しをすることにもなったので、そのタイミングで「教員を退職して別の道を模索するのもいいかもしれない。」という思いが強くなりました。
旦那さん(当時は旦那さんになる予定の人)も「いいんじゃない?」と背中を押してくれました。退職を決めた当時はまだ「これをしたい!」という明確な目標があったわけではないですが、「教員以外の他の業界も見てみたい。」そう思いました。
以上が私が退職を決めた理由です。
【結論】私は、教員を辞めてよかった
私の場合は教員を退職してよかったと思っています。
教員を退職したことで
「自分にとって本当に大切なものは何か。」「これから何をして生きていきたいのか。」をじっくりと考えることができました。
まとめ:私が教員を辞めた理由3つ
- 自分の時間がなくなってしまった
- 仕事と給与面での理不尽さに気付いてしまった
- 他の業界も見てみたくなった
以上はあくまでも私の場合です。
学校によっても地域によっても、教員の働き方は様々です。仕事を早めに終えて充実したアフター5を送ることができている先生方もたくさんいらっしゃいます。
教員という仕事は、「子どもたちのために」ということを考えると「果てのない仕事」です。どこかできちんと区切りをつけ「いい意味で手を抜いて」働くことができたのなら、本当に素敵で魅力的な職業です。
現役教員の方々には、ぜひ無理をせず、できる範囲で働いていただけたらと思います。
これからも、子どもたちの未来のために頑張ってください!応援しています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
まつこ
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